The Best is Yet to Come (まだまだこれから)
道場でオープンマットと呼んでいる柔道練習会では、自分もまだ若くて強い大人の選手たちと一緒に乱取りをしたりトレーニングをしたりしている。ただルールが一つあって、誰も自分を投げてはいけない、体を動かしながら組み手争いをすること以外は許されない、ということだ。本気でやられたら、体がバラバラに引きちげられて畳中に飛び散ることになってしまう。ここから先は体力も筋力も悪化するだけだと思うと、少しがっかりする。 先週、30年近く自分のメンターとして色々と指導してくれてきた女性と昼食をした。母親以外に自分を「バカ者」と呼ぶのは彼女だけである。それは愛情の籠もった言葉で彼女が私のために最善を望んでいることを表現しているものだと信じている。 かつて彼女に、「経験、知性、影響力が収斂するという意味でベストの年齢は何歳か」と聞いたことがある。驚いたことに、彼女は「最近までは人生で最善の年齢は60代半ばだと思っていたが、70歳になった今、70代が最高だと感じている」と返事をした。ここ2週間の間に、メンターは 2回の別の会話で、「もう一度 60 歳になりたいわ」と呟いていた。えッ、60歳?彼女はなぜ30歳、40歳、少なくとも50歳と言わなかったのだろうか。そういえば、現在102歳のサンノゼ州立大学の柔道部の監督が、人生が本格的に始まるのは50代に入ったからだ、言っていたのに似ている。
最近、自分が年を取りすぎたのではないかと感じることが多い。人生の前半はいつも若すぎると悩んでいたのが、今は年を取りすぎていると悩む。60歳を過ぎると体がボロボロになる。年齢を感じ始め、20代の日々が恋しくなる。しかし、歳を取るとともに明らかな利点もある。今こそ若い頃に欠けていた経験、知性、節度、性格を活かす時だ。長年の種まきと投資の成果を享受し、努力の成果を味わえるのはこの時である。
自分の身体はもうかつての強さと速さを持っていない。相手の脚の間で両膝付き背負い投げをすることなどはもうできないし、跳び十字固めをしようと考えることさえできなくなった。でもベストの年齢には達していない。まだまだこれからである。自分のメンターや恩師の生き方がその証拠だ。
....Kevin
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